八千八百円!

裏山の池に氷がはったので鴨動けず、はれ。

  • ぎくっと、

やってしまいましたの。ええ、腰を。「仕事はじめました」ぐらいから「あらら、なんか腰が重いなあ」と思いながらも養生するわけでもなく職場の新年会に参加し、ひどくべろろんと酔っ払い毎度お馴染みのタンバリンさばきやら、よく分からない踊りやらを惜しげもなく披露したり、と、調子に乗っていた先週末。


お酒にまつわるモロモロの後悔ばかりで迎えた新しい朝。顔を洗おうと洗面台で屈んだその瞬間、「ごごおく」という「え!!うそ!そんな音出るんだ!長い付き合いだけれど知らなかったよ!」となんとなく裏切られたような複雑な心もちの中、鈍い音が我が身体から発せられ、そのままへなへなと床に崩れ込んだのが月よう日の早朝、日も昇らぬうち。声、というか空気が漏れたような音を出しながら母を呼び、母について来た犬さんが空気を読まずにじゃれつくのをあしらいつつ、どうにかこうにか立ち上がっては見たもののガチ、と固まったまま動けず。動くと痛い。ものすんごく痛い。腕の上げ下げすら痛い。無理。ダメ。気のせい、かもしれないが顔が真っ白だ。ああ。もう。無理、です。これ、絶対。


と、いうわけで赤子さながら、一人では満足に着替えもできぬわたしは、母に手をかりながら「名医!」と評判の母かかりつけの鍼灸院へ行き、ぶすぶすううううと治療していただく。一本、また一本とさされる度に身体の内部でごりごりごりー、と音がする(ような気がする)。痛い。「さされて痛い、ということコレ即ち、患部に効いているんじゃないの?!ええ!!が、しかし!痛い!が、しかししかし、効いてる証だ!が、しか…」と自分を励ます。汗をだらだらと垂らしながら、その、効いているからこその痛み、に耐える。「そうだ!痛みに耐えてこそ人は成長するのだ!」とかもっともらしいような、そうでもないような事をボニョボニョ考えながら治療に耐える。そのおかげでもって若干の痛みはあるものの、日常生活にはまったくもって支障のない身体を手に入れたのであった。めでたしめでたし。