ねずみ、牛の背に乗る

はっきりしない天気、あめなのかい、くもりなのかい

「おお!やっと出会えた!これよこれ!」とぶふーっ、と鼻息荒く手に取り、なるたけ隅の方にある鏡の前でソソ、と身にあてがい己に馴染むかどうかを確認した後「うむうむ。」と大きく頷きレジでチン。そして素敵な紙袋を片手にほくほく顔して店を出る。「ううむ。今回もまた良い買い物をしたぞ!げへへ。」などとご自慢のニヤラシイ顔を下げ、田舎電車に揺られ、我が城へと帰って行く。


そのように「おお!今のわたしが欲するもの、是即ち、これっきゃないん!」的に買い求めた洋服たちを前にすると、どちらかというと我慢がきかない性質のわたしは、己の手におさめたとなればもう、次の日にでも、いやいや、手に入れたまさにその瞬間身に着けたい!新品のピンを存分に今すぐ、ここで、身体中で感じたい!との衝動に駆られる。が、しかしもうだいぶいい大人になったわたしはその衝動をぐぅ、と飲み込む術を身につけた。そう、大人だから少し我慢する。うむ、成長だ。そして翌日ハレバレと、堂々と、件の洋服を身に着け、うきうきと、にやにやと、ぷくぷくと、新しいものを身に着けた喜びを味わうのだ。


そして新しさを十三分以上に味わった後、物凄い頻度で着まわす。「ええ、またソレ着ているの?」「いつ会ってもソレ着ているよね?」それぐらい着まわす。他人になんと思われても構うものか。だってものすんごく気に入っているのだもの。いつでも一緒にいたいと思うのは当たり前じゃあないの?ねえ、そうよね?うん、そうだよ!などともごもご呟きながら着まわすのである。執拗に、ちょっとした犯罪級に、着まわすのである。が、しかし!


が、しかしである。同じような段を踏み、手に入れた洋服たちの中には、何故だか翌日になり「いざいざ、いざ身に着けますわよ!御覚悟を!」などとよく分らないことをぶちつき、洋服箪笥にちん、と納まっているその洋服を取り出し、身に着ける気が起きない物もあるのだ。何故だか。ふうむ?確かに「ちょう、欲しい!これ、ちょう、気に入ったのよ!」と物凄いテンションで購入したはず、だのに。デザイン、色、どれをとっても申し分無く満足しきりで購入したはず、だのに。いざ身に着ける段になるとその気が起きないのだ。きれいさっぱりつるりと、起きないのである。なんとなあく「今日じゃない、な」と思うのである。その後も度々「あ、明日こそは先日購入したアレを着よう」と思って床につくも、翌朝になるとまた「今日じゃない、な」なのである。そしてそのまま「今日じゃない、な」な日ばかりがやって来るのである。あの衝動は何処へ?己の事ながら不思議。そして意味が分らない。なんなんだ、コレ。むむん。


そして残念な事に、かつては煌き瞬いていた洋服たちも、我が手におさめられたが為に商品タグすらも外されぬまま洋服箪笥地層の下層部へと変容させられてしまうのである。ああ、なんたる悲劇。そのようにして作られた地層の上層部においては、それなりの地殻変動がわりと頻繁に起こったり、新たなる層が出来たりしているのである。そんな上層部のめまぐるしい変動を下層部のそれらは静かに、ただただ静かにちん、としたまま見守っているのである。ああ。ううむ。


と、いうわけでつらつら、ながなが、うだうだ綴ってまいりました、が、とりあえず、今、一番発信したいことは「二年前に購入した服を今日やっと身に着けたよ。大規模な地殻変動が起こりましたよ。」という事です。そういうこと、です。